バプテスマを受けて

寄稿者(鹿児島教会員I・Y)


 私は、昨年の4月29日にバプテスマを受け、1年半ほど経過したところですが、クリスチャンとは何か、聖霊に満たされるとは何か、よくわからなかったことが自分なりに何となくわかってきたことについてお話します。


 バプテスマを受けて何の変化もなく、日々は過ぎて行っていたわけですが、ちょうど3ヵ月が経過する頃、昨年の7月に私は、左眼の悪性腫瘍だということがわかりました。幸いにも早期発見で昨年の10月には先進医療で治療を受けることが出来ました。今月が治療後ちょうど1年経過することになり先日、病院で検査を受けてきたわけですが、主治医の先生からもう転移することもないだろうし、ほぼ再発もしないだろう、もう大丈夫だと太鼓判を押され安心したところです。なかなか発見しにくい病気ですので少し発見が遅れると目は失明したでしょうし転移も十分に考えられますから、命を取り留めたことに、本当に感謝しています。


 私は、バプテスマを受ける前から健康には気遣い、一生懸命仕事をして日々生活していました。ですから、自分がなぜ癌になってしまったのか納得がいかずにいました。でも思いかえしてみると、私の生活は生活費を稼がなければならないからと、とにかく仕事することを第1にしていました。ですから、仕事中心ですし、健康的な生活といっても随分と無理をしていたんだと思います。

 いつのまにか体の声も聞けなくなっていたのかもしれません。また、体にいい物を取り入れると言ってもインターネット、友人などからの情報に流されるような一貫しないものでした。


 でもバプテスマを受けてから教会に少しずつですが通うようになり、聖書を読んだり、安息日の説教を聞いたり、また、健康的な生活についてミラー先生のセミナーを聞く機会を与えられたりするうちに本当に健康的な生活というのは神様から与えられるものなんだなと感じるようになりました。


 そして、この証をさせて頂く機会にふと考えてみると仕事ももちろん一生懸命しますが、心身ともに無理のない生活にいつのまにか変化しているのがわかりました。これは何も一生懸命そうしようと思ったわけでもなく自然とそういう生活になっていっていました。

 最近になって、いつのまにか聖書と自分の生活と自分自身がつながってきたように感じるようになりました。神様の聖霊に満たされるとはどういうことかよくわからないでいたのですが、こういうことなのかと自分なりに感じています。


 例えば、今回のように私が癌になって治療を受けて病気が完治したことに対し、神様が救ってくださったと思いますが、私だけが特別にそうなったのではなく、クリスチャンであろうとなかろうと人は神様に愛されて生まれているわけですからどんな人でも神様からのチャンスは与えられているんだなと考えるようになりました。


 どんな人でも日々の生活の中にキラキラとした神様からの祝福が散りばめられていて、あとは、それぞれの人がそれを求めていくかどうか、感じるかどうか、大切にしていくかどうかなのかなと思うようになりました。


 神様からの祝福を感じたり、気が付いたりするために聖書に触れること安息日に教会に通うこと、それが神様から与えられた自分自身を大事にしていくことにつながるんだと感じているところです。


このようにあなたがたは悪いものでありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。(ルカによる福音書11章13節)

 クリスチャンになるとは、どういうことなのかわからなかった私に、バプテスマを受けてから1年半の間にいろいろな形で神様は導いてくださいました。これからも日々の生活の中で神様の祝福を感じていきたいと思います。