祈りがくれた平安

寄稿者(鹿児島教会員N・S)


 ある時、教会でMさんが「『祈りのカード』を出して下さい。どなたでもいいです。何人でもいいです。自分が祈りたい人、祈って欲しい人を名前を書いて出してください。」とおっしゃいました。


 私は思い切って実の母と主人の名前を書きました。住所も書く欄があったので住所も書きました。そして、安息日の午後、礼拝堂で祈る機会を与えられました。


 母は父を四年前に亡くし、気持ちが落ち込み明るく振るまおうとすればするほど反動もあり、母のために少しでも穏やかな日々を送ってほしいことを願い祈りました。主人は長年の銀行業務により度重なる転勤、仕事の重圧、人間関係は女性の私には計り知れないプレッシャーで過ごしている日々を少しでも軽くしてあげたい気持ちで祈りました。


 たどたどしく、つたない私の祈りを共に祈って下さった兄弟姉妹方との祈りの時間は「喜び」となりました。


 しばらくして母が自分の妹とのわだかまりについて話してきました。

「前は仲が良かったけれど、最近はお父さんがいなくなってから色々あって来なくなったね」


寂しさを感じている様子から私は、「お母さん、聖書には互いに愛し合いなさい。赦し合いなさい。て書いてあるのよ、ごめんね、ありがとうって言えたらいいね」と話しました。「あなたは教会に行ってるから優しいね、いいわね」母は、私にそう返しました。


 後日、母から電話が来ました。

「あなたの言うとおり謝ってみたの。そしたら私こそ悪かったって話ができたよ」


 私は本当に謝れたんだと驚きとうれしさで本当にみ言葉に感謝致しました。人生長く生きている母でも、がんばり屋の母でも一生懸命に生きてきた母でも心の疲れから解放されたい、癒されたいと思っているのだと感じています。


 土曜の午後は母に会いに行き、お礼拝の話や讃美歌の話をしています。そして母のことを祈っています。

同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。(イザヤ46章4節)