神様を求める

寄稿者(鹿児島教会員K・R)


 朝起きて、みなさんは1番に何を思いますか?


 私は、約3年前に、神様と出会い、バプテスマを受けました。学生の時に、父との関係が良くないまま父が亡くなり、その後悔から自分を責めていた私を救って下さったのが神様でした。


 この3年という日々の中で、神様からの導きをたくさん感じています。そして鹿児島に来てから、神様は常に私を求めて下さり、愛して続けてくださっていることをもっと感じることができています。しかしそれと同時に私の信仰生活を振り返るとき、私も1番に神様を求め、愛することができているのか?と思うのです。


 この夏から鹿児島教会で数回行われている40時間の断食祈祷の1回目で、自分の信仰生活を見つめ直す機会が与えられました。

 バプテスマを受けてから、私はどれだけ神様ご自身を求めてきたのだろう、神様を1番にすることが出来ていただろうか、そんな気持ちになったのです。そんな時ふと、「貪るように神を求めることができますように。」という祈りの言葉が与えられました。


 神様に共にいて欲しいという思いが強く湧き上がり、貪るように神様を求めたいという思いが心の内に溢れました。聖霊の神様が働いて下さった瞬間でした。そこで参加された沢山の方々と、このことを祈り続けました。会堂が、そして祈る人の心が聖霊で満たされていくのを感じました。


 40時間の断食祈祷の最後に一緒にお祈りさせて頂いたのは、Sさんでした。私が祈り、Sさんが祈り、祈りが終わる頃、言葉では表せないような平安が心にじわじわと満ちるのがわかりました。感謝の涙が溢れ、2人とも祈り終わっても涙が止まりませんでした。祈りの中で、神さまがそこにおられる確信が与えられ、胸がいっぱいで、一言でも発したら泣いてしまいそうだったのです。そして私たちの「貪るように神を求めることができますように」という祈りに答えて、神ご自身が私たちのところに来て下さったのだと思いました。求めた時、与えられたのです。


 私たちは、朝一番に起きて何を考えるでしょうか。

 クリスチャンになって3年間、悩みや心配ごとを思う朝がありました。なんとなく祈って過ごす朝も今までいっぱいありました。


 断食祈祷会が終わり、次の日の朝、1番に与えられた思いは、神さまと一緒に居たいというものでした。起きてすぐ神さまがともに居てくださるあの時間をもう一度過ごしたいと思ったのです。恥ずかしながら、こんなにも求めて起きた朝は初めてでした。貪るように神を求めることができますように。求めていたものが与えられました。

求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。(マタイによる福音書 7:7 )

 求めたら、与えられるのです。この約束を信じたいと思います。

鹿児島教会では、水曜の夜の祈祷会、木曜の早天祈祷会、礼拝後など、祈りの機会が与えられています。この瞬間にも、神様は私たちを求め続けておられます。私も神様を、この鹿児島教会の皆様と共に、求め続けていきたいと思います。


 神の家族として求め、与えられる喜びを共に経験することができますように。